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矢沢永吉の年齢や出身!壮絶な生い立ちと伝説の成り上がり人生!

EIKICHI YAZAWA

40年以上もの間、ロック界の帝王として君臨し、スーパースターであり続ける矢沢永吉さん。

そんな矢沢永吉さんにも、幾たびかの困難が訪れました。

それを乗り越えても、なお走り続けるあのバイタリティの源は、いったいどこから来るのでしょうか?

それを紐解くには矢沢永吉さんのこれまでの半生を振り返る必要がありそうですね。

そこで、ここでは矢沢永吉さんのプロフィール(年齢や出身)と、生い立ちや成り上がり伝説を振り返ることにしました。

混迷の今の時代を生きるヒントを矢沢永吉さんの半生から少しでも見出せればと思います

熱狂的なファンの方ならご存知のことばかりかもしれませんが、

今のお若い方への永ちゃんからの熱いメッセージだと思って、どうぞお付き合いください!

そこんとこ、よろしく!!

矢沢永吉の年齢や出身などプロフィールまとめ

 

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矢沢永吉のプロフィール

生年月日:1949年9月14日

今年でなんと71歳

出身:広島県広島市

血液型:B型

身長:180cm

1972年 ロックバンド「キャロル」を結成
ベース・ボーカル担当、またリーダーとして活躍

キャロルの主な楽曲:

  • ルイジアンナ
  • ヘイ・タクシー
  • やりきれない気持ち
  • レディ・セブンティーン
  • 彼女は彼のもの
  • 0時5分の最終列車
  • ファンキー・モンキー・ベイビー
  • 涙のテディ・ボーイ
  • 夏の終わり
  • ラストチャンス

1975年 「キャロル」解散

1975年 「矢沢永吉」としてソロデビュー

1978年 「時間よ止まれ」が大ヒット

矢沢永吉さんの主な楽曲:

  • アイ・ラブ・ユー、OK
  • 黒く塗りつぶせ
  • 時間よ止まれ
  • ウィスキーコーク
  • サブウェイ特急
  • トラベリン・バス
  • 止まらないHA〜HA
  • 鎖を引きちぎれ
  • YES MY LOVE
  • SOMEBODY’S NIGHT
  • 長い旅

著書:「成り上がり」

 

  の曲はライブで観客全員がタオルを投げるあの曲です!

といっても、まだ動画でしか観たことがないので、ぜひ永ちゃんのライブに行って、皆とタオルを投げたり、ノリノリで歌ったりしてみたいです!


 

続いて、矢沢永吉さんを語る上で欠かせない、生い立ちについてお伝えしていきたいと思います。

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矢沢永吉の壮絶な生い立ち

 

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矢沢永吉さんは、終戦4年後の1949年9月14日 広島県広島市に生まれました。

母は、矢沢さんが3歳の時に蒸発。

父は広島で原爆投下の被害に遭い、その影響で矢沢さんが小学校低学年の頃に亡くなっています。

一人ぼっちになってしまった矢沢少年は、親戚を転々と巡り暮らすことに。

 

そして、最終的に落ち着いたのが、父方の祖母との暮らし。

この実のお婆さんが矢沢永吉さんの人生に大きく影響しているようです。

以前読んだ本の中に、この矢沢さんの育ての親であるお婆さんのことが書き記されていました。

そこには「おばあちゃんは、女の鏡」と書いてあったように記憶しています。

そんなお婆さんとの二人暮らしは貧困を極めたよう。

それは、そうですよね。

戦後10数年経っても、ましてやお婆さんと子供が二人きりで生きていくのは大変だったと思います。

 

子供の頃、同級生に貧しい暮らしぶりをバカにされたこともあったそうです。

矢沢永吉さんは、その時の気持ちをこう語っていました。

「絶対ビックになってやる!と思った」

そう強く思った経緯、それは・・・

同級生にケーキを投げつけられたこと!

それにしても、随分酷いことをするヤツがいるものです!

当時ケーキを食べたことのない矢沢少年は自分の顔についた生クリームを「落ちないでくれ」と思ったそうです。

と同時に「ビックになってやる!」とも

大人になった矢沢永吉さんが当時のことを振り返り、その悔しさを鮮明に思い出しながら語っていたということは、

この出来事が、矢沢永吉さんをビックにするキッカケに少なからずなっているのではないかと思います。

あんな惨めな思いは一生するまいと・・・。

 

悔しいと言って泣くだけじゃなく、それをバネに前向きに行動したからこそ今の矢沢永吉さんがあるんですよね。

そして、そんな矢沢少年をそっと見守る「女の鏡」であるお婆さんの存在があったからこそ、矢沢永吉さんは前を向けたのだと。

きっと、人の心を汲む優しさや聡明さが矢沢少年には備わっていたんだと思います。

この生い立ちや当時のエピソードを知るだけでも、

「神様!矢沢少年を助けてあげてください!」

って思ってしまうのは私だけでしょうか!?

 

そして、そんな矢沢少年の人生にも、ようやく光が当たり始めます。


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矢沢永吉の成り上がり伝説

高校時代に聴いたビートルズに憧れ卒業後に上京。

最初に降り立った場所は横浜。

その時の矢沢永吉さんの脳裏には、ビートルズといえば、リバプール。

日本でリバプールのような街といえば、横浜。

という連想で横浜に決めたそう!?

すごい決断力というか発想力ですよね。

そこで、バンドを組みアルバイトをしながら練習に明け暮れたそうです。

 

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そして、キャロルを結成、デビューとなるのですが、

そこに辿り着くまでの過程も大変だったようです。

デモテープを作ってレコード会社に送っても、どこも相手にしてくれなかったと。

でも、スターになった矢沢さんがこの時のことを振り返って放った言葉が、また深い!

「レコード産業が僕たちを気持ちよく拾ってくれたら、今のポリシーある矢沢は生まれなかった」

どんなこともポジティブに捉える矢沢さん。

時として哲学者のようでもあります。

よく矢沢永吉さんの名言などと語られますが、ご本人は至って真面目に語っていらっしゃるんですよね。

決して格好つけて言っているのではなく、真剣に考え本心で熱く語る。

だから人の心を打つんですよね、きっと!

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矢沢永吉の男気あふれるエピソード

矢沢永吉さんは、1998年不動産投資詐欺に遭ってしまいました。

オーストラリアのゴールドコーストにレコーディングスタジオや音楽スクールの建設を予定していたようで。

その資金総額35億円もの大金を現地で仕切っていた責任者に横領されてしまったのです。

 

矢沢永吉さんは、後にその事件を思い出し、こう語っています。

「もう俺の人生は終わった。」

そう思ってやけ酒を飲みまくって相当荒れていたようです。

でも

「一週間飲んでると飽きるだ。こんな事じゃ解決しないよと!」

さすが矢沢永吉さん!切り替えが早い!

「マスコミは面白おかしく書く。俺が破産したら待ってましたとばかりに記事を書くんだろう。そうだ!コイツらに良い思いはさせたくない。それにはどうしたらいいか?借金を返すこと!」

 

そして税理士や奥様に「矢沢永吉が本気になったら、絶対返せない額じゃない!」

と励まされ、その後はライブ活動など勢力的にこなした結果、見事に借金完済。

そう、矢沢永吉さんは35億円もの大金を、わずか6年で完済してしまったのです!

おまけに15億円もの大豪邸まで建設できるほどだったといいますから驚き!

 

 

矢沢永吉さんの行動力とバイタリティは凄まじい!

有言実行で決してブレることのない信念。

そして、どんな逆境をもバネにしてしまう生命力を感じます。

 

矢沢永吉さんの「存在」「言葉」「歌」

その全てに力がみなぎっていて、聴いているこちらまで元気をもらえるんですよね!

矢沢永吉さんの体から発せられるパワー、そして歌を聴いていると小さな悩みなんてちっぽけに思えてしまう。

そんなパワースポットのような存在の矢沢永吉さんだからこそ

昭和から平成、そして令和と3代に渡り、スーパースターであり続けられるのだと思います。

 

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まとめ

生きる伝説!スーパースターの矢沢永吉さんのプロフィール(年齢や出身)、半生を簡単に振り返ってみました。

矢沢永吉さんは、広島県広島市出身の今年71歳になる現役ロックミュージシャンです!

とても年齢を感じさせないパフォーマンスとその鋭くも暖かいお人柄で、デビュー当時から熱狂的なファンが多数。

そんなスーパースター矢沢永吉さんの人生にも幾たびかの困難があったようです。

それでも、前向きにがむしゃらに走り続ける永ちゃんの姿に、ファンは心を動かされずにはいられない!

混迷の今の時代にこそ、そのパワーを振りまいて皆を元気にする存在であり続けて欲しい。

この状況が落ち着いたら、絶対ライブに行きたい!

いつかその日が来る日まで!

 

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